強く揺さぶられる。
天井まで届きそうな棚に手を添えて、倒れないよう押さえてる。 つもり。
からだが動かない。
ただ突っ立っていた。
2024年1月1日、元旦の夕方。
そろそろおせち料理を家族そろって食べる時間。
冷たすぎは美味しくないから、冷蔵庫から少し早めに三段重を出す。
雑煮の出汁も温めなおす。
ガスとろ火。
家人を呼びに行こうと、2階から降りようとしたその時。
仲良くハンモックで寝ていたはずの娘猫2匹が、足下にシュタッ!!と現れる。
・・忍者みたい。
低姿勢にイカ耳。
キョロキョロ頭を左右に振りながら、そのまま揃って階段を駆け下りた。
んっ? どうした?
次の瞬間。
iPhone が大音量で鳴り響く。
緊急地震速報だ。
過信は禁物である。
昨年、山の家でも何度か緊急地震速報が鳴るも、幸い規模が小さかった。
なので私のなかでは『 狼がきたぞ iPhone 』。
とりあえずガスを切ったタイミングで、グラっとくる。
すぐ止まるだろうと高を括っていたが、より増幅して横に揺れた。
生まれて初めての震度。
1985年築。
新耐震基準で建っているんだろうけど、耐震診断を受けた事が無いし、耐震補強ももちろん無し。
子供達が幼い頃、一緒に起震車に乗ったことがある。
皿や箸やマグカップなどの小物、テーブルや椅子や本棚などの家具、全てが固定されていたので、怖いと思うよりも、ちょっとしたアトラクション感覚。
ペンダントライトだけが、左右に大きく揺れていた。
そうだよねー。
くっついてるよねー。
つど皿が落ちて家具が倒れていては、安全面で問題だし、戻す手間も大変。
当時は妙に関心していたけど、本物の地震は接着剤が付いていない。
棚の天辺に置いていた北欧の古い飾り皿やガラスの花瓶、食器棚は壁に近い縦1列分、marimekko・iittala・ARABIA・DANSKの食器が粉々に割れた。
150年の時を刻んできた JUNGHANS の古い柱時計も、地震発生の時間で止まっていた。
後日確認すると、チャイムを打つ鉄の棒1本が根元から折れていた。
もう既に、オーバーホールを含めて、この時計を修復する技術を持つ日本の時計職人が、伝手を辿ってもいないのに。
悲しみ。
チャイムの音色は変わったけど仕方ない。
振り子とゼンマイが動いているだけでヨシとする。
3.11 東日本大震災以降、ありとあらゆる家具や大型家電に、耐震や免震の防災グッズを見栄え度外視で取り付けてきた。
ボロ屋の家具が倒れなかったのは、耐震グッズがしっかり機能していたからだと思う。
それよりも、同じ震度の家族・友人知人・ご近所さんが一様に、すごい揺れたけど大丈夫だったよ、と言うので驚く。
マジですか!?
うちの家屋の被害、それなりなんです。
とほほ。
すきま風が通り抜ける、無気密無断熱・低耐震の家。
とりあえず、地震で壊れた箇所を補修すべきか?
それなりにお金をかけて、耐震補強すべきか?
かなりのお金をかけて、解体すべきか?
ものすごいお金をかけて、狭小平屋に建て直すべきか?
大地震がきたらその時と、運を天に任せて諦めるべきか?
いまさら、、もう歳なのに、お金も絡むから悩む。
住み続けるはずだった家を一瞬で失い、ケガや亡くなられた被災者の方々とそのご家族を想うと、私の悩みはちっぽけで贅沢だ。
でももし次に大地震がきたら。
はたして我が家は堪えているだろうか。
正しい選択は分かっているけど。
答えがない。
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今回の地震で気付いたこと。
猫は緊急地震速報よりも先に、大地震を予知していた。
2階の踊り場から階段をズダダダっと駆け下りるまで数秒。
その前にハンモックの中でヤバイ!逃げねば!と感じ、私の足下に現れるまでの時間もプラスすると、一体どれだけ前に察知していたのだろうか。
地震後すぐ、津波を警戒し念のため避難しようと、消えた 3匹を探し始める。
ダリとマリ はベッドの下、雪は炬燵の中で発見。
雪は抱えてすぐキャリーへ。
しかし怯えるダリマリが入り込んだベッドの奥が、遠くて狭くて手が届かない。
優しく呼んでも、ちゅーるでつっても、もうどうにも動かない。
そのうえ最低限必要な猫の避難グッズも揃えていなかった。
しばらく余震のたびに行方不明になるし、ごはんも食べず。
猫と一緒に、迅速に避難する難しさを知った。