ましろ 弐

前回のつづき。
保護しないと決めたことを、なぜクヨクヨクヨクヨいつまでも思い悩むのか?
長く深く考えていた。

自宅の愛猫や近所で見かける野良猫、山の家に現れた白猫。
『命の重さはみな同じである。人間だって一緒。』
確かにその通り。
でもそれはきれいごとだ。

例えば。
猫の交通事故を目撃。
あなたならどうする?
目の前に横たわる、血だらけだけどまだ息のある猫を抱え、後先考えず動物病院へ走る?
用事があるし、仕事があるし、どうせ助からないだろうし、誰かが助けてくれるかもと、見なかった事にして通りすぎる?
私も見て見ぬふりの1人かもしれない。
どうかな。

例えば。
行き場のない猫や、近日中に行政の殺処分が決まっている猫を個人が無計画に次々と保護する。
遠からず多頭飼育崩壊。
家族も巻き込み、金銭的・肉体的・精神的ダメージを受ける。

聖人君子になりたいなんて思わない。
よく分かっている。

それでも。
どうしても。
自分できめた選択に胸が痛むのだ。
白猫のこれからのニャン生が気になるのだ。

何がどこが引っかかるのかは明明白白。
天敵に襲われるリスクも恐れず大声で鳴きながら、山の奥深い家まで、私に助けを求めてやって来たからだ。
美味しいご飯が食べたいよ。
綺麗なお水が飲みたいよ。
ずっとのおうちが欲しいよ。
幸せになりたいよ。
全ての命は助けられないけど、突然現れたこの1匹の命を何とかできないか?を考えるのが、運命というものではないでしょうか。

自宅には箱入り娘ニャンズがいる。
相性もある。
病気や感染症も考えられる。
なんとかなる。

また来るだろう予感あり。
保護する手立てを考え始めた。

つづく。



長く更新をお休みして、しれっと続きを載せてます・笑
今回は心の葛藤編で、またつづく。
『 シロネコ保護大作戦 』は2023年の夏のこと。

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